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富裕層と貧困層事情 |
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格差社会とは、今後さらに格差が広がる社会の構造のことです |
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格差社会の意味を間違って理解している人が多いようです。
間違った理解をしていることで格差に対する緊迫感が低いのかもしれません。
格差社会は、格差が拡がった結果の社会構造をいうのではありません。
格差社会とは、今後さらに格差が拡がる社会の構造を言うのです。
そのため、今現在自分が貧困を自覚していなくても、近い将来貧困層の仲間入りをする可能性が限りなく近いということです。
実際、その傾向は多くの面で確認することができます。
法律や制度、政府の施策などの立案には、貧困層、或いは貧困層予備軍はほとんど関わっていません。
貧困層や貧困層予備軍が、法律や制度、施策の立案に関わる立場に居ないからです。
立案する側に立つためには、相応のお金が必要だからです。
政治家になるための選挙には相変わらず多額の資金が必要ですし、その取り巻く人たちは高度な教育を受けています。
すでに貧富の差で教育環境の差が生じています。
高度な教育を受けた人が立案者の周辺に居て、高度な教育を受けた大企業の経営者が立案者を支えています。
その彼らが格差社会を真の意味で論ずることはほぼありません。
あるとすれば、貧困層への「施し」をすることくらいしか頭に浮かびません。
相変わらず貧困層は政治に無頓着ですし、「施し」を期待しているが実際にところです。
悲しいかな、一部の富裕層に社会が牛耳られている現実があるのに見ようとしない貧困層です。
選挙になると政策で投票をするのではなく、地域の名士であると言うだけで一票を投じてしまいます。
当選してしまえば、貧困層への「施し」の政治が始まります。
ここで、政治家を非難しているのではありません。
どこの社会でも指導者は自分や自分の地位を守ろうとします。
そのような社会では、ほとんどの人が「施し」がありがたいこととして受け止め、彼らの秘策を受け入れ、また彼らを応援します。
その後始末を誰がするのかと思うと、ゾッとします。
<201023> |
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金融資産が500万円程度から1億円以下の人の悪戦苦闘 |
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さて、ここでは富裕層になろうとしてもがく金融資産が500万円程度から1億円以下の人の話です。
彼らの存在があるから一見格差がぼやけています。
しかし、日々この霧のような煙幕が風に流されて消えようとしています。
霧が消えれば、そう、確実に超格差社会が明白になってきます。
およそ3%の富裕層とそのほかの貧困層です。
ですから、金融資産が500万円程度から1億円以下の人(中産階級ではありません)は、3%の富裕層になることを目指しているのです。
願望があり目指すのですから、これから山や谷を越えることになります。
その中には悪天候で遭難する人も出てきます。
谷へ転がり落ちる人もいます。
<170518> |
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貧困層に安住する生態と習性 |
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金銭の多寡がその人の人格を決めているわけではないが、人生を決める要素になっていることは間違いありません。
また、お金ですべてのものが買えるわけではありませんが、多くのものを買うことができ、高度なサービスを受けることができます。
特に高度に進んだ(?)資本主義社会では、富裕層が優先して高度なサービスを受け、さらには富裕層の資産は増える方向に向かいます。
富裕層は、富裕層になったからと言って努力を怠っているわけではありません。
貧困層とは次元や立場が違う世界で、常に戦争をしています。
貧困層も努力を怠っているわけではありません。
貧困層のすべてが富裕層を目指しているわけではない。
が、貧困層が、価値観の違いを標榜して富裕層の存在に抵抗している姿は哀れです。
「最初は、皆素人です!」という言葉があります。
富裕層は、貧困層の成長の成果ではありません。
貧困層が成長して、努力して富裕層になるのではないのです。そのことをまず肝に銘じておく必要があります。
しかし、先祖や親から資産を受けた結果が富裕層であるとも言い切れません。
重要なことは、富裕層の人は、富裕層の体質を持っていると言うことです。
今日では、富裕層は、努力の成果ではありません。
たまに突然変異的に富裕層になる人はいますが、そう、遺伝に似ています。
幼少時の生活環境が大きく影響を与えているからです。
一方で、貧困層には、貧困層で居続ける生態と習性があります。
努力しても富裕層の方向を目指せない体質です。
そもそも、努力の方法の違いに気が付かない体質です。
私の研究では、貧困層で居続ける生態と習性の要素は相当数あることを確認しています。
貧困層で居続ける生態と習性をすべて払い除けたとして、富裕層になれるのはほんのわずかのようです。
<170518> |
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超格差社会の日本/富裕層はさらに金融資産を増やそうと |
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長格差社会の日本ですが、・・・
不思議なことに実感していない人が多いようです。
富裕層は、10億円の金融資産があっても富裕層であることを実感できなくて、さらに増やすことを目指しています。
彼らにしてみれば、10億円ではなく、100億円、或いはそれ以上を意識しているのです。
一方、貧困層は、生きていることに一生懸命で貧困層であることを自覚できていません。
ほんとうに不思議な国、日本です。
ほんとうに不思議な国、日本です。
平和ボケ?
特に働かなくても生きていける国、日本です。
富裕層と貧困層との境い目がどこにあるのか、すでに考えることすら必要がありません。
それほど格差が明確になりつつあります。
億単位の金融資産を持っている人は、増やし方を知っているので、資産は増える一方です。
そして、500万円程度、あるいはそれ以下の人は、思い切って投資できませんからひたすら節約が仕事になります。
問題は、500万円から1億円に届かない人です。
ここでは仮に1億円と書いていますが、昨今では2億円と言う人も、3億円と言う人もいます。
仮に富裕層の条件が1億円として、金融資産が500万円程度から1億円以下の人は、熱烈に金融資産を増やそうとする願望があります。
将来が不安だからです。
寿命が延びて、その後の生活費が不足すると考えられるからです。
金融資産を増やそうとする強い願望は、富裕層と貧困層の狭間でもがくことになります。
その間、貧困層は、金融資産については無頓着です。
どうにもならないからです。
ただただ静かに節約する毎日です。
通常の生活をしながらでは1億円の金融資産にすることは厳しいからです。 |
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【ご案内】観光地の写真は、すべて私のオリジナルです。 |
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